千利休の茶道の精神、おもてなしの心得。
「和」とは、亭主と客が互いの人格を尊重した時に得られる異体同心の信頼感、一切の差別を超えた平等観のことです。私心我執のない相手を思いやる心です。
「敬」とは、自己に対しては「つつしむ」と読み、敬譲を意味します。他人に対しては「うやまう」と読み、崇敬を意味します。「自らつつしみ、他を敬う」という互敬の意味です。
「清」とは、清潔にすることです。利休は「茶湯の本意は六根を清くする為なり」と教えています。茶会では初めに露地の蹲踞で手や口を清め席入りします。茶室では床の掛物や花を見て亭主の趣向を理解します。耳を澄ませば松風(湯音)が聴こえ、炉からほんのりと香りが聞こえます。お菓子に続きお茶を頂きます。亭主のもてなしに眼・耳・鼻・舌・身の五根が清められ、やがて心を含めた六根が清浄になります。
「寂」とは「わび・さび」で表現されます。「わび」とは、不完全なことに起因する質素さや簡素さに美意識を感じ取ることです。「さび」とは、移りゆく変化や古びた趣に美意識を感じ取ることです。「綺麗さび」と表現されることもあります。華やかさの中にある老熟した趣のことです。また「寂」はどんな場合でも動じない「幽玄閑寂な境地」とも表現されます。
数年前、滝川クリステルさんがオリンピックのプレゼンテーションで「お・も・て・な・し」と表現した場面が話題になりました。その中で「おもてなしには、訪れる人を心から愛しみお迎えするという深い意味があります。それは先祖代々受け継がれてきたものです。おもてなしの心があるからこそ、日本人がこれほどまでに互いを思いやり客人に心配ばりをするのです」と。
「和敬清寂」や「おもてなし」のこころは、日本人が代々培ってきた洗練された美意識に基づいた精神文化です。
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